パワフルかつ繊細だった”神の手”

2024/03/24 (日)

最初に”神の手”の洗礼を浴びたのは,1992年のことでした.
当時勤務していた日立市の病院では,数ヶ月に一度,”その日”がやってきます.
スタッフは緊迫感を高め,朝も5時には出勤し,一気に4,5件の手術をやり遂げます.
そして,フェスティバルのような高揚感とチャンピオンシップのような達成感が手術室を満たします.
その立役者が”神の手”福島孝徳先生でした(写真①).
”神の手”の手術は,まるで時空を変化させるかのように,時間を短く感じさせます.
圧倒的な経験と知識に裏打ちされたパワフルかつ繊細なテクニックは,青森育ちの私には異次元の衝撃でした.
指導を受けた時は叱られてばかりでしたが,福島先生が助手を務めてくれた私の手術ビデオは自分にとっての金字塔として大事に保管しています.

2度目の洗礼は1995年のアメリカです.
ピッツバーグ大学病院に留学した時,市内の別な病院では”サムライ脳外科医”として福島先生が辣腕を振るっていました.
挨拶に行くと「留学先を間違えたんじゃない?」とパワフルなジョークで歓待して下さり.大学で手術がない日には福島先生の病院でアメリカならではのダイナミックな手術をたくさん勉強させてもらえました.

3度目の洗礼は”International Neurosurgeons Jazz Band”です.
大学時代にジャズ研究会でピアノを弾いていたことを伝えると,あちこちの国際学会で一緒に演奏する機会を与えてくれました.
隣で弾いていても,ドラムを叩く手がこれまたパワフルかつ繊細です(写真②).
多彩なレパートリーに加えて「今日はFでやろう」と直前に曲のキーを変更することもあり,手術と同じくバリエーションが広くて面食らいました.

そんな”神の手”だからこそメディアにも注目されて,かえって心ない医師達からやっかみを受けたり,あらぬ誤解で訴訟に巻きこまれることもありました.
でも実は,東大卒のエリートながら熱心な努力の人であり,患者を救う情熱をみなぎらせながら世界中を飛び回って難しい手術に立ち向かっていました.
伝授いただいた最小の切開と最短の時間で手術する鍵穴式スタイルも,患者の負担を減らすための思いやりが原動力であり,そのための技術を磨き上げることに人生を賭けているような先生でした.

かつては,青森にも手術の執刀に来ていただき,後輩達にも“師匠”の奥義を披露してもらいました.
水戸ブレインハートセンターでも,福島先生が発案したたくさんの器具を手術に活用しており,その流儀がしっかり伝承されています.
6年前,久しぶりにハワイの学会で演奏を手伝った時も,アロハを華麗に身にまとい,ますますアクティブなプレイで参加者を魅了しながら「もっとハワイアンも練習しなくちゃダメだ」と私への指導を忘れてはいませんでした(写真③).
初めての洗礼から32年,弟子の一人と言ってもらえた幸運に感謝しながら,その”手”を目指して手術を続けてきました,
2024年3月某日,81歳で本当の”神の手”となってしまいましたが,あの多彩で軽妙な語り口はいまも耳に響いていますし,「手術一発全治」の心意気は深く私の胸に刻まれています.

福島先生,本当にお疲れさまでした.
きっと天国でも,パワフルかつ繊細な”神の手”ですでに注目を集めていることでしょう.